パドックで手に入らない馬体の見方
著者馬体診断が定義する「仕上がり」とは、
一般的な馬体パドック派が言う「仕上がり」とは、全く別モノ


例えば、よく馬体を見て
  • 毛ヅヤがいい
  • 張りが抜群
  • 気配文句なし
  • 覇気がある
  • 歩様が力強い
など、力説しているorそれで終了しているのを見かける。


が、結論から言えば、これらすべて

「馬体の見極め」がはじまってすらいない

唯、個人的に「馬体から感じている」に過ぎず、「馬体の見極め」まで至っていないと言える。


逆に言えば、「馬体の見極め」ができない人でも、これらのコメントを感じることはできる。サラブレッドを初めて見る競馬ド素人でも、「毛ヅヤがいい、張りが抜群、気配文句なし」などは、感じられるのだ。


仮に、「馬体の見極め」ができる人が、この類いを見抜いたとしても、それは「仕上がりの見極め」に非ず。


では一体、「毛ヅヤがいい、張りが抜群、気配文句なし…」などは、
「何」を見極めているというか?

あくまで、それは…


「調子の見極め」に過ぎない


著者が定義する「仕上がり」とは、

著者の「仕上がり」……「1.骨筋バランス、完成度、2.重め(脂肪)、3.調子(皮膚質、体幹バランス)」すべて(また1,2)の良し悪し
一般的な「仕上がり」……「調子」の良し悪し
馬体パドック派の大半が、この「仕上がり」「調子」をいっしょくたにしており、明確な基準で線引きをしていない。


著者が定義する「仕上がり」とは、これら「調子」プラス、「骨筋バランス(馬体完成度)、重め(脂肪)」を見抜いてはじめて、「仕上がりを見極めた」と言える。

ズバリ

馬体から「調子」だけを感じても意味がない
馬体から「調子」を見極めている暇はない



以上

競馬著名人、トラックマン、テレビメディア、競馬専門誌でも、一頭の馬について、この「調子」のみ言及して終わっていることは多い。

がだからと、それが「馬体の見極め」と考えるのはナンセンス。

「専門家もやっている」「みんながやっている」「当たり前としてやってきた」「それで当った」という裏付けや証明など、「馬体」の前では何の意味も持たない。

大切なことは

「馬体の見方として、正しいかどうか?」は
「馬体の基本(知識)」で裏付ける


「馬体の基本」以外で、「馬体の見方が正しいか」の裏付けをとる必要などない、否、決して裏付けてはならない。

NHKマイルCで「調子」はいい一頭
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